楽器「クラシックギター guitarra classica」
若い頃に、クラシックギターを弾いていた。最初にギターを手にしたのは、小学6年生の時。当時人気だった雑誌・学研の「科学」「学習」の付録に、音の実験セットというのがついていた。プラスチック製のボディと糸巻きが2本の棒でつながっていて、その間に3本の弦を張るミニギターだ。フレットはなく、棒と弦の間に割りばしを差し込んで滑らして音の高低を出す。和音(コード)演奏には無理があるが、単音で音階が弾けたのでこれでメロディをかなでることにはまってしまい、器用にいろんな曲を弾いていた。それを見た両親が、本物のギターを買ってやろうかと言ってくれたのだ。
私は幼稚園の時にオルガンを習いに行くと言って当時は高かったであろう電気オルガンを買ってもらいながら、結局レッスンの直前に「行きたくない」とわがままを言ってそれっきりになった前科がある。あの時、習いに行ってたら私の人生はちょっぴり変わってたんじゃないかと後悔する。同時に両親は私に何か楽器を本当に習わせたかったんだろうと思う。親父、お袋、ごめん!
楽器屋へ行き、手にしたのはクラシックギター。フォークギターよりは一回り小さかったが、小学6年生の私には結構な大きさで、これをうずむようにかかえて弾いた。近所にはクラシックギターを教えてくれる教室はなく、当時NHK教育で放映されていた「ギターをひこう」という番組を見ながら独習した。最初の先生は、ギタリストの阿部保夫さん。年配の落ち着いた先生で、教え方もわかりやすかった。週に1回の放送で配信やレコーダーはもちろん、ビデオデッキもなかった時代なので、テキストを手に番組を見ながらギターを弾き、次週の課題を1週間かけて練習した。1年で何となく初心者向けの練習曲は弾けるようになった。
翌年の「ギターをひこう」の先生は、莊村清志さんに替わった。当時は髪が長く、若いギタリストだった。「アストゥリアス」「入り江のざわめき」といった、スペインのメロディを情熱的に演奏するのが印象的。30分の番組は初級編と中級編の2部構成に分かれたが、どちらのコースも練習した。しかし何となく壁にぶつかった感じで、上達は止まったように思う。左手の指が寝ていて、和音がうまく弾けなかったのが原因とは後から気づいた。コード中心のフォークギターから入っていたら、すぐに気づいていたことだろう。
高校生になって、友人はフォークギターやエレキギターを弾くようになった。クラシックギターを弾くのは、少数派というよりも私だけだ。みんなはせっせとコードを覚えている。私はコードにはまったく興味がなく、譜面を見ながらせっせとレパートリーを増やしていった。コードを覚えても、歌の伴奏しかできないやん、と冷めた目で見ていた。でもコードやスケールも覚えておけば、初見弾きやセッションもできるようになって、もっともっと世界が広がったかなと後悔する。今思うといろいろと後悔が多い。
大学生になって、ギター部に入った。クラシックとフラメンコのセクションに分かれていて、私は当然のようにクラシックをチョイス。大学の昼休みと放課後は、ギターの基礎練習からスタートするのが独習ではなかったことで新鮮だった。今まで難易度が高く半ばあきらめていた曲も、こつこつと練習すれば弾けるようになることを教えられる。「アランブラ宮殿の思い出」「魔笛の主題による変奏曲」といった憧れの曲に手を染める。小学生の時から使っているギターはここでは使い物にならず、夏休みにバイトをして新しいギターを買う。荘村清志先生を真似て髪を伸ばした。
大学を卒業、就職して社員寮に入った。ギターは実家に残して、結局それっきり弾くことはなかった。今でもたまに実家に帰った時に当時のギターを手にしてみるが、指がまったく動かない。それでも老後に時間ができたら再びやってみたいのはギターかなと思う。グラナダのアランブラ宮殿へ行って、「アランブラ宮殿の思い出」を弾けたら最高だろうな...
私は幼稚園の時にオルガンを習いに行くと言って当時は高かったであろう電気オルガンを買ってもらいながら、結局レッスンの直前に「行きたくない」とわがままを言ってそれっきりになった前科がある。あの時、習いに行ってたら私の人生はちょっぴり変わってたんじゃないかと後悔する。同時に両親は私に何か楽器を本当に習わせたかったんだろうと思う。親父、お袋、ごめん!
楽器屋へ行き、手にしたのはクラシックギター。フォークギターよりは一回り小さかったが、小学6年生の私には結構な大きさで、これをうずむようにかかえて弾いた。近所にはクラシックギターを教えてくれる教室はなく、当時NHK教育で放映されていた「ギターをひこう」という番組を見ながら独習した。最初の先生は、ギタリストの阿部保夫さん。年配の落ち着いた先生で、教え方もわかりやすかった。週に1回の放送で配信やレコーダーはもちろん、ビデオデッキもなかった時代なので、テキストを手に番組を見ながらギターを弾き、次週の課題を1週間かけて練習した。1年で何となく初心者向けの練習曲は弾けるようになった。
翌年の「ギターをひこう」の先生は、莊村清志さんに替わった。当時は髪が長く、若いギタリストだった。「アストゥリアス」「入り江のざわめき」といった、スペインのメロディを情熱的に演奏するのが印象的。30分の番組は初級編と中級編の2部構成に分かれたが、どちらのコースも練習した。しかし何となく壁にぶつかった感じで、上達は止まったように思う。左手の指が寝ていて、和音がうまく弾けなかったのが原因とは後から気づいた。コード中心のフォークギターから入っていたら、すぐに気づいていたことだろう。
高校生になって、友人はフォークギターやエレキギターを弾くようになった。クラシックギターを弾くのは、少数派というよりも私だけだ。みんなはせっせとコードを覚えている。私はコードにはまったく興味がなく、譜面を見ながらせっせとレパートリーを増やしていった。コードを覚えても、歌の伴奏しかできないやん、と冷めた目で見ていた。でもコードやスケールも覚えておけば、初見弾きやセッションもできるようになって、もっともっと世界が広がったかなと後悔する。今思うといろいろと後悔が多い。
大学生になって、ギター部に入った。クラシックとフラメンコのセクションに分かれていて、私は当然のようにクラシックをチョイス。大学の昼休みと放課後は、ギターの基礎練習からスタートするのが独習ではなかったことで新鮮だった。今まで難易度が高く半ばあきらめていた曲も、こつこつと練習すれば弾けるようになることを教えられる。「アランブラ宮殿の思い出」「魔笛の主題による変奏曲」といった憧れの曲に手を染める。小学生の時から使っているギターはここでは使い物にならず、夏休みにバイトをして新しいギターを買う。荘村清志先生を真似て髪を伸ばした。
大学を卒業、就職して社員寮に入った。ギターは実家に残して、結局それっきり弾くことはなかった。今でもたまに実家に帰った時に当時のギターを手にしてみるが、指がまったく動かない。それでも老後に時間ができたら再びやってみたいのはギターかなと思う。グラナダのアランブラ宮殿へ行って、「アランブラ宮殿の思い出」を弾けたら最高だろうな...
当方もほぼ同じ時期です。
73年の阿部保夫さんの終わりの頃から見て,
74年の荘村さんの4月からやりました。同じテキスト持っています。
やはり難物は就職でした。楽器持ち込み厳禁の新人研修でいっぺんに弾けなくなりました。定年後やり直している様なものです。
by Enrique (2021-11-09 21:17)
Enriqueさんはそれでも続いているのが凄いです。私は本当に就職してそれっきりでした。「ギターをひこう」を見ていた方がおられるのも、嬉しいです。ネットでもリアルでも初めてです。
子供たちが独立して時間ができたら、また弾きたいとは思ってます。
死ぬまでに「アランブラ宮殿の思い出」「アストゥリアス」といったスペインの一連の曲と、バッハの「シャコンヌ」を弾きたい。指が動くかどうかわかりませんが。
by oga. (2021-11-10 22:26)