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ラジオ「ギャルギャルコーベ」

galgal.jpg 私が高校生の時に、友人に「ラジオの公開放送を見に行ってみないか」と誘われた。番組のタイトルは「ギャルギャルコーベ」。パーソナリティ(MCのことです)は谷山浩子さんと、西島三重子さんが隔週で担当。最初は中島みゆきさんが担当した回もあったらしい。当時ヤマハのポピュラーソングコンテスト(通称「ポプコン」)にはまっていた私は、その出身者である中島みゆきさんと谷山浩子さんの名前を聞いて「行く行く、面白そう」と二つ返事で応えた。ちなみに誘った彼は谷山さんのファンだった。(写真は、番組放送後の記念写真)

 国鉄(今のJR)の須磨駅に降りて、海岸をてくてくと歩く。ラジオ関西は、須磨海岸に面した「レストイン須磨」というビルの一角に入っている。「こっこは~海の見える~放送局ぅ~」という美しいジングルが流れる、神戸ローカルのAM放送局だ。クラシカルな灯台を横目に、15分ぐらい須磨海岸を歩いてビルにたどり着いた。
 裏口のようなところから建物に入り、警備員さんの出すノートに名前を書いて放送局へ。別に入場券やチケットがあるわけでもなく「見学お願いします」「ギャルギャルコーベですね」「はい」と言うだけであっさりと入れてもらえた。今思うとおおらかな時代だ。通されたのは副調整室と呼ばれる、ミキサーやレコードプレーヤーが並んだ部屋。ガラス越しに谷山浩子さんと、お相手のパーソナリティである富田和音さんという方が座って準備をしている。見学者は10人もいなかったと思うが、副調整室のスタッフが座る後ろにパイプ椅子を並べて座らせてくれた。

 それから約1時間半、今まで音だけしか知らなかったラジオ放送の舞台裏をじっくりと楽しませていただいた。番組が終わると、谷山浩子さんやスタッフとの歓談とサイン会となる。来ていたのはほとんどが若い男性で、谷山浩子さんのファンのようだった。これだけ芸能人と近くで接したのは初めてだった。友人はすでに何回か来たことがあるらしく、帰りの真っ暗の須磨海岸で「来週も来るか?」という問いに私は少々興奮気味に「うん、行く行く」と答えた。

o0531053111421435184.jpg 翌週は西島三重子さんのDJだったが、実は私は西島さんを知らなかったし友人も彼女の回を見に行ったことはなかったようだった。ところが実際に会った西島さんは小柄な可愛い女性で、ちゃきちゃきしたトークがツボにはまった。さらにその日かかった彼女のフォルクローレ風の曲「かもめより白い心で」にすっかり心を奪われてしまいファンになった。それから私は毎週この番組にリクエストハガキを書き、時間のある限り番組を見学しに行くようになったのだった。


=ギャルギャルコーベ=
 1978年より神戸のAM局であるラジオ関西で放送されていた番組。当時ラジオ関西ではなぜかジャイアンツナイターを放送していたのだが(阪神の地元なのに...)そのシーズンオフに放送されていたリクエスト番組のひとつ(音楽のジャンルはニューミュージック)がギャルギャルコーベだった。放送時間は恐らく18:00~20:00ぐらいで、深夜放送枠ではなかった。


=以下はこの番組に登場した方々=

R-8677875-1466466423-5524.jpeg.jpg■西島三重子さん
 愛称みぃちゃん。シンガーソングライター。ギターで作曲し、たまに弾き語りも見せてくれる。「のんだくれ」でデビュー、代表曲は「池上線」だが、残念ながら池上線の走らない関西ではこの曲はあまり知られていなかった。初期の曲はいわゆるポップス演歌だったが、この放送の頃はユーロポップ風、ボサノバ、フォルクローレといろんなテイストで魅了してくれた。東京都中野区出身。後にイラストを描いたりエッセイを出版したりとマルチタレントぶりを発揮している。

■谷山浩子さん
 シンガーソングライター。ピアノによる弾き語りが演奏スタイル。代表曲は「ねこの森にはかえれない」「河のほとりに」など。ヤマハのポプコン出身。写真好き・カメラ好きで、当時は出会った人を手当たり次第に撮影して「おともだち名鑑」というのを作っていた。可愛らしい声が特徴で、最近ではNHKみんなのうたで流れていた「花咲かにゃんこ」が我が家のスマッシュヒットとなっている。

■富田和音さん
 パーソナリティ。大学生のアルバイトだったらしく、毎週ギャルたちの相手役で出演していた。しかし番組では口数が少なく「いちおう出ています」というセリフが印象に残っている。長身のイケメン。ギャルギャルコーベへの出演は初年度だけで、卒業して名古屋の放送局にアナウンサーとして就職。後に政治家になったらしい。

■森岡ディレクター
 1年目の番組ディレクター。優しい話し方と、スマートな身のこなし。回数はあんまり会ってないのだが、几帳面な方だったと印象に残っている。

■垣屋さん
 レコードプレーヤーで、女子大生のアルバイト。番組中に7~8枚のレコードをメドレーでつないでいくシーンがあり、その連続技にうならされたのが思い出される。番組開始寸前にやって来て、大慌てで流すレコードをかき集めている時もあった。かなりの美人で、我々番組のファンのお姉さん的存在。

■三上公也さん
 ラジオ関西の新人アナウンサーで、2年目の放送より登場。東京の田無市(当時)出身で、気さくな人柄が魅力。番組終了後も、ずっとラジオ関西の看板アナウンサーとして活躍されている。

■森下ディレクター
 番組2年目以降のディレクター。フォークグループ「ジローズ」の元メンバー。局内では「仁丹」と呼ばれていた。ざっくばらんでノリの良い方。後にラジオ関西の取締役になったらしい。


=以下はゲスト出演者の情報です=

■下成佐登子さん
 シンガーソングライター。ポプコン出身。「秋の一日」がスマッシュヒット。どこのクラスにでもいそうな、友達にしたい女の子って雰囲気。ルーズリーフにサインをたのんだら、リングの金具にセーターの袖が引っかかって「帰れなくなる」と焦っていたのが可愛かった。別に帰れなくてもいいんじゃない、と思った(笑)。ちなみに彼女は私と同い年。

■白季千加子さん
 シンガーソングライター。絞り出すような歌い方がドラマティックで印象的。「冬の音」「男と女のララバイ」という曲が心に残ってずっと気になっていた方なので、ゲストで来られると聞いてからずっと楽しみにしていて、放送の合間に「ずっと気になっていました」「お会いできて光栄です」と声をかけたけど本人は意外と無口。マネージャーの方が、「よく聴いてる方はそう言ってくださるんですよ」「彼女をどうやって売っていくか、難しいところなんです」と語ってくれた。出演時間が終わって退場したあと、スタジオの横の事務所でマネージャーと一緒にずっと残っていたそうだ。もっと話がしたかったな。

■佐藤隆さん
 シンガーソングライター。当時は「北京で朝食」でデビューしたところだったが、後に「マイクラシック」「桃色吐息(歌は髙橋真梨子)」という楽曲がヒットした。

■大上留利子さん
 大阪の伝説的ソウル歌手。当時でもすでにレジェンド的存在で、パワフルな歌いっぷりは定評があった。しかし会ってみると意外と小柄で気さくな女性だったのに驚いた。

■杉田二郎さん
 フォークグループ「ジローズ」で森下ディレクターと組んで活動されていた。当時はソロで活躍中。後にリスナーのメンバーで、神戸文化ホールへコンサートを見に行った。

■小田和正さん
 私がスタジオに行かなかった時(谷山さんの回)に、ゲスト出演されてた。みぃちゃんが彼のファンで、その翌週の放送で「どうだったどうだった」とずっと大騒ぎしていた。

■松任谷由実さん
 こちらも私がスタジオに行かなかった時に出演。当時も有名だったが、今ほどのレジェンドではなかった(失礼!)ような気がする。友達にたのんで、サインだけが残っている。


=番組でのエピソード=

■ジョン・レノンさん暗殺
 事件の起こった1980年12月8日は西島三重子さんの司会でギャルギャルコーベの放送日だった。ゲストの佐藤隆さんとのトークの最中に、ジョン・レノンが亡くなった話題となり、事件を知らなかった私はスタジオで心臓が飛び出すほど驚いた。しかし本当にショックだったのは、ビートルズが完全にストライクゾーンにはまっている世代のみいちゃんや佐藤隆さんだったと思う。

■視聴者参加の歌合戦
 谷山さんのピアノ伴奏で視聴者が歌おうという企画があった。私は、クリスタルキングの「大都会」で応募したら見事当選。いそいそと出かけて行ったら、私以外はみんな谷山浩子さんのファンらしく、歌われていたのは谷山さんの楽曲だった。音合わせの時に浩子さんから「他の曲は全部自分の曲だからダイジョブだけど...」と言っていたのを聞いてその事に気が付いた。私はひとりで「大都会」の高音部と低音部を歌い、「元気いっぱいで賞」をいただいた。

IMG_20211211_0002.jpg■おともだち名鑑に掲載
 谷山さんのパンフレットが番組で抽選で何部かプレゼントとなった。その中に前述のおともだち名鑑のページがあった。芸能人やアーチスト、業界人に加えて一般の方たちも分け隔てなく混ぜこぜに載っていた中で驚いたのは、私とみぃちゃんが並んで掲載されていたこと。私がみぃちゃんのファンだと知っての粋なはからいだったのか、谷山さんの優しさを実感した(たまたまだったのかもしれないが...)。


galgal2.jpg 「ギャルギャルコーベ」は結局、3シーズン放送されて終了となった。1978年秋に放送開始して、1979年のプロ野球開幕と共に終了。本来はこれで番組は終わりのはずだったが、ファンのみんなが再会運動を行ってラジオ関西にハガキもいっぱい送り、1979年秋に2年目の放送が決定。さらに1980年に3年目の放送となったが、さすがに4年目は打ち切りとなってしまった。左の写真とこのページ最初の写真は集まってる人数からして放送最終回のものだと思われるのだが、どの年の最終回だったかは不明。もっともこの写真はみぃちゃんのブログで公開されていたもので、私も久しぶりに見て懐かしい気持ちにさせられた。

この3年間は、ハガキにリクエストを書いて、ラジオ放送で読まれる。友達が増えてまたハガキを書くという循環に夢中になった。業界の方ともお知り合いになれた。インターネットもパソコン通信もなかった時代に、ラジオのリクエスト番組が当時のSNSだったんじゃないかと思うことがある。

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Enrique

なかなかですね。
ビッグネームもいれば,そういえばという人もいます。
ラジオ番組にリクエストハガキ。たしかに当時の若者の重要なコミュニケーション手段でした。
by Enrique (2021-12-18 08:20) 

oga.

パソコン通信が始まった時に「ボツのないリクエスト番組」と言われていたのを思い出しました。インターネットやSNSも基本的に同じなんですが、書いたメッセージが世界中に届くのが凄いと思います。

現在はネット検索すれば大概の情報は出てくるのですが、この「ギャルギャルコーベ」に関しては乏しいので覚えている限りを書き綴ってみました。不正確な情報がありましたら申し訳ございません。

by oga. (2021-12-18 09:59) 

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