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パソコン「シャープ MZ-2000」

 NECから日本初の市販ワンボードマイコン(パソコンではなかった)TK-80が発売された時、私は高校1年生だった。高校に実機があったのだが、1枚の大きめの基板に入力用の16進キーと、出力用の7セグのLED(何桁だったかは忘れた)、外部記憶はカセットテープ(専用品ではなく、普通のテレコでOK)という姿に、これがコンピュータだと言われても具体的に何もできなさそうで全然興味がわかなかったのを覚えている。翌年ぐらいにこれにオプションのQWERTYキーボードとディスプレイアダプター(テレビにつなぐと文字が表示できた)が追加された時はちょっと気になったけど、でもそのままマイコンのことはすっかり忘れていた。

 何年か過ぎて、大学の2年生ぐらいの頃、大阪・日本橋の電気街を歩いていた私が1件の電子パーツ店に貼ってあったポスターに目を止めた。それは、綺麗なお姉さんが映ったシャープのパソコン MZ-80Bのポスターだった。お姉さんのイメージとパソコンのイメージが見事にシンクロしていて、これが欲しいという欲求が頭の中にむくむくとわき上がった。パソコンのスペックとかその時点ではまったくわからなかったが、悪いはずはないだろうと勝手に思い込んだ。(このポスターに再会したいんだけど、未だにネットでは見つけていません)

 MZ-80Bの値段は 278,000円。しかもパソコンはまったく値崩れがなく、値引きのなかった時代である。このMZ-80Bが欲しいがゆえに、夏休みはバイトにいそしんだ。それにしても278,000円とは、ちょっと前に買ったクラシックギターの倍近い値段。おいそれとは手が届かない。かくしてちょっとずつ貯金が増えた1年後に、後継機種のMZ-2000が発売された。

mz2000.jpg

 MZ-2000の価格は218,000円で、MZ-80Bより6万円も安くなった。しかもオプションのグラフィック性能がアップするなど機能も良くなっている。というわけで、貯金がたまったところでMZ-2000を近所の時計屋(ちょっとだけだが値引きしてくれた)でついに購入する。

 このMZ-2000で何をしていたかというと、まずは雑誌に載っている短いプログラムを打ち込んで動作を楽しんだ。画面に3Dグラフを描いたり、ライフゲームやスタートレックといったBASICで書かれた短いプログラムを打ち込んで動かしただけで楽しかった。打ち込むプログラムがだんだん長くなり、NECなど他機種用に書かれたプログラムを移植して動かしたりもした。BASIC言語を覚えるにつれ、シンプルで高速だけど機能の少ないSHARP BASICに飽き足りなくなり、他社製で高機能なHu-BASICを購入した。ただし計算速度はSHARP BASICより遅く、機能が増えると速度が落ちるという当たり前のことを学んだ。

 MZ-2000に内蔵されているのは濃淡の出ない10インチのグリーンモニター。カラーグラフィックを扱うには外付けモニターが必要だ。またまたアルバイトでお金をため、当時10万円ぐらいしたテレビチューナー内蔵の14インチモニターを購入する(後にテレビとして寿命を全うするのだが)。増設すると、本体モニターはキャラクター(文字)のみ、外付けモニターはグラフィックのみという2画面仕様でも使えることがわかった。昨今はWindowsでマルチ画面を扱えるが、40年前からマルチモニターを実現していたのは凄いと思う。

IMG_20211114_0001.jpg

 就職したら、私はBASIC言語が扱えるということで情報処理の部署に配属になった。部署の先輩の指導で、アセンブラ(機械語)とC言語を覚えた。アセンブラはプログラムをミスするとパソコンが暴走するので、再起動のためにカセットでは使い物にならないことを知った。プライベートで使っていたMZ-2000用には、安くなった5インチでダブルのフロッピードライブと、印字する時は非常にうるさいモノクロのドットプリンターを買った。当時はカラーモニター、フロッピードライブ、プリンターの3点セットが付くと、パソコンはフルシステムと呼ばれた。しかし時代は16ビットへと移行し、また日本のパソコンはNECのPC-98シリーズが事実上のスタンダードとなり、MZシリーズのシェアも使えるソフトも徐々に減っていった。

 MZ-2000の周辺機器として、最後に発売されたのは16ビットキットだった。増設すると、8ビット(Z80)のCPUを16ビット(8086)に変更できる。MZ-2000って凄いと思ったけど、この16ビットキット用に使えるソフトはついに発売されなかった。その頃にインターネットの前身とも言えるパソコン通信の時代がやって来て、当初はMZ-2000でカナ文字はもちろん、市販ソフトを改造して漢字対応まで行っていたのだが、文字化けに悩まされついに限界を感じていた。

 私がMZ-2000を手放したのは、日本初のラップトップパソコン PC-98LTを中古で手に入れた時だった。今で言う、ノートパソコンの走りだろう。既に仕事になったプログラミングには興味を失い、PC-98LTはパソコン通信で外に持ち出してコミュニケーションができることに心を奪われた。MZ-2000を使っていた期間は約5年間。Windowsどころか、MS-DOSも普及してなかった正にパソコンの黎明期に濃厚な時間を過ごさせてくれたことに感謝している。

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Enrique

当方も同時期です。
アセンブラは学校で学びましたが全くダメで使い物になりませんでした。FORTRANはある程度使えました(現在も多分大丈夫です)が,パソコンに実装された初期のBASICで学んだものは大きいですね。FORTRANやPASCAL(少し使いました)と比較することで,その便利さと限界も学びました(Cはダメです)。
当方が自腹で買ったものは就職してから社内販売で買った,PC8800MKIIでしたが,少々つまらなくて1か月くらいで隣の部署の上司に買った値段と同じで売りました。
パソコンの黎明期にはひどく原始的だったパソコンに,MS-DOSが乗ってビジネス使用が始まりましたが,AppleのLisaとMacintoshに衝撃を受け(MS-DOSとのあまりの違いに),ツールとして使うならばこれだと思いました。エクセル系の表計算ソフトを使いだしてプログラミングはやらなくなりました(アセンブラは勿論の事,高級言語でもプログラムはあまり好きではないのです)。

当方仕事ではHPの9000シリーズのワークステーションも最もよく使いました。事務処理にはMacとWinを半々,個人使用にはMacといったところです。Macは中身を見させないので,ハード屋さんには嫌われますね。当方としてはハードウェアとしては,インテルよりもモトローラが好きでした。現在はあまり関係ないですかね。

誠に僭越ながら,2行目「基盤→基板」に修正いただけたらと思います。
by Enrique (2021-11-22 12:02) 

oga.

私はBASICからパソコンに入り、Z-80のアセンブラでMSXやシャープX1のソフトを書いていました。その後、8086のアセンブラを覚えようとしたけど大きなプログラムを書くには限界を感じ、その後C言語を覚えました。やがてインターネットの時代が来て、コンテンツ作りが仕事になりました。
FORTRANやPASCAL、そしてCOBOLは学校でプログラミングを習った方はよく口にされてましたが、私は全然わかりません。
パソコンのハードはMZ-2000→PC-98LT→PC-9801NS/T→VAIO(PCV-S610)と来て現在に至ります。Macは興味はあったけど、中身がブラックボックスっぽくて、ハード屋さんではないのですがおっしゃるように好きになれなかったです。
校正いただき、ありがとうございます。私的には意外と見落とす誤字です(笑)。

by oga. (2021-11-22 23:08) 

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